岩戸開く仕組 知らしてやりたいなれど
この仕組、言ふてはならず
言はねば臣民には分らんし、神苦しいぞ
早う神心になりて呉れと申すのぞ
身魂の洗濯いそぐのぞ。
アイカギ、ゝ〇(記号のマルチョン)
コノカギハ イシヤト シカ テ ニギルコトゾ

暗号というものは容易に理解されてはいけないもの
仲間内の、とある「キー(鍵)」を共有する者のみが
その文面を理解できるようにしなくてはならない…

『日月神示』は漢数字や謎の記号
時より、かな文字の入り混ざった文体で
最初に岡本天明さんがチャネリングした時には
意味不明で、解読のモチベーションの高まらない
代物だったのですが、あの元日本海軍大佐で
元大本(教)幹部で竹内文書の熱烈な支持者として知られる
矢野祐太郎(不敬罪にて収監中に獄死)の妻
矢野シンさんがその重要性に気づいて翻訳(解読)を
しはじめたことが、後に世に出るきっかけとなったもので
基本的には、その漢数字や謎の記号を語呂合わせで
「日本語」で読むようになっています。
(少なくとも八通りある解釈の一つでは…)

『日月神示』原文

ちなみに『日月神示』に書かれている
「日本人」とは ?…の定義は
国際ルールによって定められた国籍による
「日本人」という定義ではないようです。

日本語で語られているので、まずは日本語を解することが
できる人であることは間違いないとは思われるのですが…
重要なのは、その精神性が『日月神示』でいうところの
日本人的であるということ・・・
目や肌の色は関係ない…というようなイメージのことが
『日月神示』にはよく書かれています。

(極右的な思想だと誤解されがちなので
そうでもないことを強調したいのかも知れません)
『日月神示』の言いたいことの一つには・・・
この神示は国家や民族(ナショナリズム)の枠を越えて
宗教すら超えて、全世界を救済する真理だということ
があるようです。

ナショナリズムとグローバリズムの融合 ?


『日月神示』「五十黙示録」至恩之巻 (第16帖)
太陽は十の星を従たがえるぞ原子も同様であるぞ。
物質が変わるのであるぞ
人民の学問や智ではわからんことであるから
早う改心第一ぞ、 二二(ふじ)と申すのは
天照大神殿の十と種(くさ)の神宝にゝを入れることであるぞ
これが一厘の仕組み。
二二となるであろう、 これが富士の仕組み
七から八から鳴り鳴りて十となる仕組み
なりなりあまるナルトの仕組み。
富士(不二)と鳴門(成答)の仕組みいよいよぞ
これがわかりたならば
どんな臣民でも腰を抜かすぞ。

一方的に一神でものを生むことできるのであるが
それでは終わりはまっとうできん。
九分九厘で『リンドマリ』ぞ
神道も仏教もキリスト教もそうであろうがな
卍(ブッダ)も十(キリスト)も
すっかり助けると申してあろうがな
助かるには助かるだけの用意が必要ぞ。
用意はよいか。
このこと大切ごと、気つけておくぞ。

なりなりなりて十とひらき、二十二となるぞ
富士(普字)晴れるぞ、 大真理世に出るぞ
新しき太陽が生まれるのであるぞ。
記:1961年9月1日


ここで、もう少し矢野祐太郎さんについてまとめておこう

矢野祐太郎(明治十四年) 東京築地に生まれる
元海軍大佐。退役し後に神霊研究家となる。

海軍兵学校時代の恩師、浅野正恭少将
(浅野和三郎の兄)の紹介で大本本部を訪れて入信
大正7年には綾部に移住する。
(日本の心霊学研究のパイオニア)

【浅野和三郎】wiki

大正15年、出口王仁三郎の満蒙入りを手助けするが
まもなく出口王仁三郎と袂をわかち
大本開祖出口ナオの筆先に明示された立替え立直し
の継承を模索する。
昭和3年にはナオの三女で王仁三郎と対立する福島ヒサを
中心とする大本の反主流派「大阪正道会」に接近
ヒサも霊媒体質で、みずからの自動書記『日乃出神諭』を
ナオの筆先を継承するものとして位置づけていた。

矢野祐太郎は、出口ナオの『お筆先』
福島ヒサの『日乃出神諭』を中心に
天理、金光など各教祖の神諭類の比較研究に没頭する
昭和4年には自分の妻シンも神憑りとなる。

またこの頃、矢野は大本の肝川支部に接近する。
肝川は兵庫県川辺郡の寒村で
明治末期に全村が大本信者となった特異な地であり
教団内 で「控えの地」として重視されたが
やがて支部長 車末吉の妻小房に
村の禁足地「雨の森」の龍神が憑依し
[肝川龍神]と称し独自のカルトとなっていた。
矢野祐太郎はこの肝川グループを
自己の指導権のもとに組織的に掌握したのである。

昭和5年、矢野は磯原の天津教を訪れ
『竹内文献』を知り異様な感銘を受けるに至る。
神界→現界への移写という観念から
『竹内文献』こそは各種神示の内容を
「現界に即して完全に裏書きするもの」
と受けとめた矢野祐太郎は
『日乃出神諭』『肝川神諭』を神界史として立て
その現界への投影として『竹内文献』を立てる
という構造で『神霊密書』(『大宇宙史』)を著 し
神霊界-現界を通じての立て替え立直し
=神政復古の霊的計画をその中に定位するにいたる。

昭和9年、矢野は肝川に「天地和合神殿」を建立する
矢野によればこれは神霊界の「建替」の完了を意味し
あとはいよいよ現界「建替」を残すのみとなる。
同年11月、東京に「因縁者」による
「現界建替神軍」である神政龍神会を結成する。

現界の「建替」に際しては、金毛九尾系統の神霊が
いよいよ最後の抵抗を試みるとされた。

矢野祐太郎によれば・・・
金毛九尾が世界的に作り上げた肉宮
ないし、その団体がフリーメーソンである。

大本弾圧、天津教弾圧、2・26事件の勃発にともなう
要注意人物一掃の一環として検挙され
昭和13年に獄死。

北 一輝
戦前の日本の思想家、社会運動家、国家社会主義者。
二・二六事件の皇道派青年将校の理論的指導者として逮捕され
軍法会議で死刑判決を受けて刑死した。

竹内巨麿
平群真鳥の子孫であるとされる竹内家に、養子に入ったと自称し
「竹内文書」を奉じ祀る、皇祖皇太神宮天津教を興した人物。
1936年、内務省特高警察により不敬罪で逮捕、投獄される。
1944年12月12日、大審院無罪判決、結審。
判決では「この問題は裁判所の権限を超えた宗教問題である」
あるいは「単なる証拠不十分である」として
無罪が宣告されるに至る(第二次天津教弾圧事件)

甘粕事件を報じる大正12年10月9日付の東京日日新聞夕刊

【甘粕事件】wiki

【大逆事件】wiki
日本では「御霊信仰」というのが大昔から流行っている。
何をもって「日本人っぽい」というのかは
人それぞれで様々なのでしょうが・・・
御霊信仰がやたらと強く根付いているのが日本という国
そこらへんに日本人っぽさの一つがあるような気がします。

菅原道真

崇徳院

平将門
【御霊信仰】wiki
御霊信仰(ごりょうしんこう)とは
人々を脅かすような天災や疫病の発生を
怨みを持って死んだり非業の死を遂げた人間の
「怨霊」のしわざと見なして畏怖し
これを鎮めて「御霊」とすることにより祟りを免れ
平穏と繁栄を実現しようとする日本の信仰のことである。

御霊信仰のルーツをさかのぼると・・・

《大本》艮の金神とは?
高天原
たかまがはら
たかあまはら
「た」(or)「ま」がハラ

《天下泰平》2013年06月10日
日月神示と艮の金神
ハ
ラ

今

諸星大二郎『孔子暗黒伝』より
介

ハリハラ

シェイク・スピア(槍)

イザナギ イザナミ

神話


『新約聖書』 ヨハネによる福音書 (1章)
初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。
この言は初めに神と共にあった。
すべてのものは、これによってできた。
できたもののうち
一つとしてこれによらないものはなかった。
この言に命があった。
そしてこの命は人の光であった。
光はやみの中に輝いている。
そして、やみはこれに勝たなかった。

ここにひとりの人があって、神からつかわされていた。
その名をヨハネと言った。
この人はあかしのためにきた。
光についてあかしをし
彼によってすべての人が信じるためである。

彼は光ではなく
ただ、光についてあかしをするためにきたのである。

すべての人を照すまことの光があって、世にきた。
彼は世にいた。
そして、世は彼によってできたのであるが
世は彼を知らずにいた。
彼は自分のところにきたのに
自分の民は彼を受けいれなかった。
しかし、彼を受けいれた者、すなわち
その名を信じた人々には
彼は神の子となる力を与えたのである。

それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず
また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。
そして言は肉体となり
わたしたちのうちに宿った。
わたしたちはその栄光を見た。
それは父のひとり子としての栄光であって
めぐみとまこととに満ちていた。

ヨハネは彼についてあかしをし、叫んで言った
「『わたしのあとに来るかたは
わたしよりもすぐれたかたである。
わたしよりも先におられたからである』
とわたしが言ったのは、この人のことである」

わたしたちすべての者は
その満ち満ちているものの中から受けて
めぐみにめぐみを加えられた。
律法はモーセをとおして与えられ
めぐみとまこととは
イエス・キリストをとおしてきたのである。

神を見た者はまだひとりもいない。
ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが
神をあらわしたのである。

さて、ユダヤ人たちが
エルサレムから祭司たちやレビ人たちを
ヨハネのもとにつかわして
「あなたはどなたですか」と問わせたが
その時ヨハネが立てたあかしは、こうであった。
すなわち、彼は告白して否まず
「わたしはキリストではない」と告白した。

そこで、彼らは問うた
「それでは、どなたなのですか
あなたはエリヤですか」
彼は「いや、そうではない」と言った。
「では、あの預言者ですか」
彼は「いいえ」と答えた。

そこで、彼らは言った
「あなたはどなたですか。
わたしたちをつかわした人々に
答を持って行けるようにしていただきたい。
あなた自身をだれだと考えるのですか」

彼は言った
「わたしは、預言者イザヤが言ったように
『主の道をまっすぐにせよ
と荒野で呼ばわる者の声』である」
つかわされた人たちは、パリサイ人であった。

彼らはヨハネに問うて言った
「では、あなたがキリストでもエリヤでも
またあの預言者でもないのなら
なぜバプテスマを授けるのですか」
ヨハネは彼らに答えて言った
「わたしは水でバプテスマを授けるが
あなたがたの知らないかたが
あなたがたの中に立っておられる。
それがわたしのあとにおいでになる方であって
わたしはその人のくつのひもを解く値うちもない」

これらのことは、ヨハネがバプテスマを授けていた
ヨルダンの向こうのベタニヤであったのである。


【アル=マグタス】wiki
その翌日、ヨハネはイエスが
自分の方にこられるのを見て言った
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
『わたしのあとに来るかたは
わたしよりもすぐれたかたである。
わたしよりも先におられたからである』
とわたしが言ったのは、この人のことである。
わたしはこのかたを知らなかった。
しかし、このかたがイスラエルに現れてくださる
そのことのために、わたしはきて
水でバプテスマを授けているのである」

ヨハネはまたあかしをして言った
「わたしは、御霊がはとのように天から下って
彼の上にとどまるのを見た。
わたしはこの人を知らなかった。
しかし、水でバプテスマを授けるようにと
わたしをおつかわしになったそのかたが
わたしに言われた
『ある人の上に、御霊が下ってとどまるのを見たら
その人こそは、御霊によって
バプテスマを授けるかたである』
わたしはそれを見たので
このかたこそ神の子であると」

その翌日、ヨハネは
またふたりの弟子たちと一緒に立っていたが
イエスが歩いておられるのに目をとめて言った
「見よ、神の小羊」
そのふたりの弟子は、ヨハネがそう言うのを聞いて
イエスについて行った。

イエスはふり向き、彼らがついてくるのを見て言われた
「何か願いがあるのか」
彼らは言った
「ラビ(訳して言えば、先生)
どこにおとまりなのですか」
イエスは彼らに言われた
「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう」
そこで彼らはついて行って
イエスの泊まっておられる所を見た。
そして、その日はイエスのところに泊まった。
時は午後四時ごろであった。

ヨハネから聞いて
イエスについて行ったふたりのうちのひとりは
シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。

彼はまず自分の兄弟シモンに出会って言った
「わたしたちはメシヤ
(訳せば、キリスト)にいま出会った」

そしてシモンをイエスのもとにつれてきた。
イエスは彼に目をとめて言われた
「あなたはヨハネの子シモンである。
あなたをケパ(訳せば、ペテロ)と呼ぶことにする」

その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされたが
ピリポに出会って言われた
「わたしに従ってきなさい」
ピリポは、アンデレとペテロとの町
ベツサイダの人であった。

このピリポがナタナエルに出会って言った
「わたしたちは、モーセが律法の中にしるしており
預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子
ナザレのイエスにいま出会った」

ナタナエルは彼に言った
「ナザレから、なんのよいものが出ようか」
ピリポは彼に言った
「きて見なさい」
イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て
彼について言われた
「見よ、あの人こそ、ほんとうのイスラエル人である。
その心には偽りがない」

ナタナエルは言った
「どうしてわたしをご存じなのですか」
イエスは答えて言われた
「ピリポがあなたを呼ぶ前に、わたしはあなたが
いちじくの木の下にいるのを見た」

ナタナエルは答えた
「先生、あなたは神の子です。
あなたはイスラエルの王です」
イエスは答えて言われた
「あなたが、いちじくの木の下にいるのを見たと
わたしが言ったので信じるのか。
これよりも、もっと大きなことを
あなたは見るであろう」

また言われ
「よくよくあなたがたに言っておく。
天が開けて、神の御使たちが
人の子の上に上り下りするのを
あなたがたは見るであろう」

【ヨハネによる福音書(口語訳) 第1章】wiki
この仕組、言ふてはならず
言はねば臣民には分らんし、神苦しいぞ
早う神心になりて呉れと申すのぞ
身魂の洗濯いそぐのぞ。
アイカギ、ゝ〇(記号のマルチョン)
コノカギハ イシヤト シカ テ ニギルコトゾ

暗号というものは容易に理解されてはいけないもの
仲間内の、とある「キー(鍵)」を共有する者のみが
その文面を理解できるようにしなくてはならない…

『日月神示』は漢数字や謎の記号
時より、かな文字の入り混ざった文体で
最初に岡本天明さんがチャネリングした時には
意味不明で、解読のモチベーションの高まらない
代物だったのですが、あの元日本海軍大佐で
元大本(教)幹部で竹内文書の熱烈な支持者として知られる
矢野祐太郎(不敬罪にて収監中に獄死)の妻
矢野シンさんがその重要性に気づいて翻訳(解読)を
しはじめたことが、後に世に出るきっかけとなったもので
基本的には、その漢数字や謎の記号を語呂合わせで
「日本語」で読むようになっています。
(少なくとも八通りある解釈の一つでは…)

『日月神示』原文

ちなみに『日月神示』に書かれている
「日本人」とは ?…の定義は
国際ルールによって定められた国籍による
「日本人」という定義ではないようです。

日本語で語られているので、まずは日本語を解することが
できる人であることは間違いないとは思われるのですが…
重要なのは、その精神性が『日月神示』でいうところの
日本人的であるということ・・・
目や肌の色は関係ない…というようなイメージのことが
『日月神示』にはよく書かれています。

(極右的な思想だと誤解されがちなので
そうでもないことを強調したいのかも知れません)
『日月神示』の言いたいことの一つには・・・
この神示は国家や民族(ナショナリズム)の枠を越えて
宗教すら超えて、全世界を救済する真理だということ
があるようです。

ナショナリズムとグローバリズムの融合 ?


『日月神示』「五十黙示録」至恩之巻 (第16帖)
太陽は十の星を従たがえるぞ原子も同様であるぞ。
物質が変わるのであるぞ
人民の学問や智ではわからんことであるから
早う改心第一ぞ、 二二(ふじ)と申すのは
天照大神殿の十と種(くさ)の神宝にゝを入れることであるぞ
これが一厘の仕組み。
二二となるであろう、 これが富士の仕組み
七から八から鳴り鳴りて十となる仕組み
なりなりあまるナルトの仕組み。
富士(不二)と鳴門(成答)の仕組みいよいよぞ
これがわかりたならば
どんな臣民でも腰を抜かすぞ。

一方的に一神でものを生むことできるのであるが
それでは終わりはまっとうできん。
九分九厘で『リンドマリ』ぞ
神道も仏教もキリスト教もそうであろうがな
卍(ブッダ)も十(キリスト)も
すっかり助けると申してあろうがな
助かるには助かるだけの用意が必要ぞ。
用意はよいか。
このこと大切ごと、気つけておくぞ。

なりなりなりて十とひらき、二十二となるぞ
富士(普字)晴れるぞ、 大真理世に出るぞ
新しき太陽が生まれるのであるぞ。
記:1961年9月1日


ここで、もう少し矢野祐太郎さんについてまとめておこう

矢野祐太郎(明治十四年) 東京築地に生まれる
元海軍大佐。退役し後に神霊研究家となる。

海軍兵学校時代の恩師、浅野正恭少将
(浅野和三郎の兄)の紹介で大本本部を訪れて入信
大正7年には綾部に移住する。
(日本の心霊学研究のパイオニア)

【浅野和三郎】wiki

大正15年、出口王仁三郎の満蒙入りを手助けするが
まもなく出口王仁三郎と袂をわかち
大本開祖出口ナオの筆先に明示された立替え立直し
の継承を模索する。
昭和3年にはナオの三女で王仁三郎と対立する福島ヒサを
中心とする大本の反主流派「大阪正道会」に接近
ヒサも霊媒体質で、みずからの自動書記『日乃出神諭』を
ナオの筆先を継承するものとして位置づけていた。

矢野祐太郎は、出口ナオの『お筆先』
福島ヒサの『日乃出神諭』を中心に
天理、金光など各教祖の神諭類の比較研究に没頭する
昭和4年には自分の妻シンも神憑りとなる。

またこの頃、矢野は大本の肝川支部に接近する。
肝川は兵庫県川辺郡の寒村で
明治末期に全村が大本信者となった特異な地であり
教団内 で「控えの地」として重視されたが
やがて支部長 車末吉の妻小房に
村の禁足地「雨の森」の龍神が憑依し
[肝川龍神]と称し独自のカルトとなっていた。
矢野祐太郎はこの肝川グループを
自己の指導権のもとに組織的に掌握したのである。

昭和5年、矢野は磯原の天津教を訪れ
『竹内文献』を知り異様な感銘を受けるに至る。
神界→現界への移写という観念から
『竹内文献』こそは各種神示の内容を
「現界に即して完全に裏書きするもの」
と受けとめた矢野祐太郎は
『日乃出神諭』『肝川神諭』を神界史として立て
その現界への投影として『竹内文献』を立てる
という構造で『神霊密書』(『大宇宙史』)を著 し
神霊界-現界を通じての立て替え立直し
=神政復古の霊的計画をその中に定位するにいたる。

昭和9年、矢野は肝川に「天地和合神殿」を建立する
矢野によればこれは神霊界の「建替」の完了を意味し
あとはいよいよ現界「建替」を残すのみとなる。
同年11月、東京に「因縁者」による
「現界建替神軍」である神政龍神会を結成する。

現界の「建替」に際しては、金毛九尾系統の神霊が
いよいよ最後の抵抗を試みるとされた。

矢野祐太郎によれば・・・
金毛九尾が世界的に作り上げた肉宮
ないし、その団体がフリーメーソンである。

大本弾圧、天津教弾圧、2・26事件の勃発にともなう
要注意人物一掃の一環として検挙され
昭和13年に獄死。

北 一輝
戦前の日本の思想家、社会運動家、国家社会主義者。
二・二六事件の皇道派青年将校の理論的指導者として逮捕され
軍法会議で死刑判決を受けて刑死した。

竹内巨麿
平群真鳥の子孫であるとされる竹内家に、養子に入ったと自称し
「竹内文書」を奉じ祀る、皇祖皇太神宮天津教を興した人物。
1936年、内務省特高警察により不敬罪で逮捕、投獄される。
1944年12月12日、大審院無罪判決、結審。
判決では「この問題は裁判所の権限を超えた宗教問題である」
あるいは「単なる証拠不十分である」として
無罪が宣告されるに至る(第二次天津教弾圧事件)

甘粕事件を報じる大正12年10月9日付の東京日日新聞夕刊

【甘粕事件】wiki

【大逆事件】wiki
日本では「御霊信仰」というのが大昔から流行っている。
何をもって「日本人っぽい」というのかは
人それぞれで様々なのでしょうが・・・
御霊信仰がやたらと強く根付いているのが日本という国
そこらへんに日本人っぽさの一つがあるような気がします。

菅原道真

崇徳院

平将門
【御霊信仰】wiki
御霊信仰(ごりょうしんこう)とは
人々を脅かすような天災や疫病の発生を
怨みを持って死んだり非業の死を遂げた人間の
「怨霊」のしわざと見なして畏怖し
これを鎮めて「御霊」とすることにより祟りを免れ
平穏と繁栄を実現しようとする日本の信仰のことである。

御霊信仰のルーツをさかのぼると・・・

《大本》艮の金神とは?
高天原
たかまがはら
たかあまはら
「た」(or)「ま」がハラ

《天下泰平》2013年06月10日
日月神示と艮の金神
ハ
ラ

今

諸星大二郎『孔子暗黒伝』より
介

ハリハラ

シェイク・スピア(槍)

イザナギ イザナミ

神話


『新約聖書』 ヨハネによる福音書 (1章)
初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。
この言は初めに神と共にあった。
すべてのものは、これによってできた。
できたもののうち
一つとしてこれによらないものはなかった。
この言に命があった。
そしてこの命は人の光であった。
光はやみの中に輝いている。
そして、やみはこれに勝たなかった。

ここにひとりの人があって、神からつかわされていた。
その名をヨハネと言った。
この人はあかしのためにきた。
光についてあかしをし
彼によってすべての人が信じるためである。

彼は光ではなく
ただ、光についてあかしをするためにきたのである。

すべての人を照すまことの光があって、世にきた。
彼は世にいた。
そして、世は彼によってできたのであるが
世は彼を知らずにいた。
彼は自分のところにきたのに
自分の民は彼を受けいれなかった。
しかし、彼を受けいれた者、すなわち
その名を信じた人々には
彼は神の子となる力を与えたのである。

それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず
また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。
そして言は肉体となり
わたしたちのうちに宿った。
わたしたちはその栄光を見た。
それは父のひとり子としての栄光であって
めぐみとまこととに満ちていた。

ヨハネは彼についてあかしをし、叫んで言った
「『わたしのあとに来るかたは
わたしよりもすぐれたかたである。
わたしよりも先におられたからである』
とわたしが言ったのは、この人のことである」

わたしたちすべての者は
その満ち満ちているものの中から受けて
めぐみにめぐみを加えられた。
律法はモーセをとおして与えられ
めぐみとまこととは
イエス・キリストをとおしてきたのである。

神を見た者はまだひとりもいない。
ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが
神をあらわしたのである。

さて、ユダヤ人たちが
エルサレムから祭司たちやレビ人たちを
ヨハネのもとにつかわして
「あなたはどなたですか」と問わせたが
その時ヨハネが立てたあかしは、こうであった。
すなわち、彼は告白して否まず
「わたしはキリストではない」と告白した。

そこで、彼らは問うた
「それでは、どなたなのですか
あなたはエリヤですか」
彼は「いや、そうではない」と言った。
「では、あの預言者ですか」
彼は「いいえ」と答えた。

そこで、彼らは言った
「あなたはどなたですか。
わたしたちをつかわした人々に
答を持って行けるようにしていただきたい。
あなた自身をだれだと考えるのですか」

彼は言った
「わたしは、預言者イザヤが言ったように
『主の道をまっすぐにせよ
と荒野で呼ばわる者の声』である」
つかわされた人たちは、パリサイ人であった。

彼らはヨハネに問うて言った
「では、あなたがキリストでもエリヤでも
またあの預言者でもないのなら
なぜバプテスマを授けるのですか」
ヨハネは彼らに答えて言った
「わたしは水でバプテスマを授けるが
あなたがたの知らないかたが
あなたがたの中に立っておられる。
それがわたしのあとにおいでになる方であって
わたしはその人のくつのひもを解く値うちもない」

これらのことは、ヨハネがバプテスマを授けていた
ヨルダンの向こうのベタニヤであったのである。


【アル=マグタス】wiki
その翌日、ヨハネはイエスが
自分の方にこられるのを見て言った
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
『わたしのあとに来るかたは
わたしよりもすぐれたかたである。
わたしよりも先におられたからである』
とわたしが言ったのは、この人のことである。
わたしはこのかたを知らなかった。
しかし、このかたがイスラエルに現れてくださる
そのことのために、わたしはきて
水でバプテスマを授けているのである」

ヨハネはまたあかしをして言った
「わたしは、御霊がはとのように天から下って
彼の上にとどまるのを見た。
わたしはこの人を知らなかった。
しかし、水でバプテスマを授けるようにと
わたしをおつかわしになったそのかたが
わたしに言われた
『ある人の上に、御霊が下ってとどまるのを見たら
その人こそは、御霊によって
バプテスマを授けるかたである』
わたしはそれを見たので
このかたこそ神の子であると」

その翌日、ヨハネは
またふたりの弟子たちと一緒に立っていたが
イエスが歩いておられるのに目をとめて言った
「見よ、神の小羊」
そのふたりの弟子は、ヨハネがそう言うのを聞いて
イエスについて行った。

イエスはふり向き、彼らがついてくるのを見て言われた
「何か願いがあるのか」
彼らは言った
「ラビ(訳して言えば、先生)
どこにおとまりなのですか」
イエスは彼らに言われた
「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう」
そこで彼らはついて行って
イエスの泊まっておられる所を見た。
そして、その日はイエスのところに泊まった。
時は午後四時ごろであった。

ヨハネから聞いて
イエスについて行ったふたりのうちのひとりは
シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。

彼はまず自分の兄弟シモンに出会って言った
「わたしたちはメシヤ
(訳せば、キリスト)にいま出会った」

そしてシモンをイエスのもとにつれてきた。
イエスは彼に目をとめて言われた
「あなたはヨハネの子シモンである。
あなたをケパ(訳せば、ペテロ)と呼ぶことにする」

その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされたが
ピリポに出会って言われた
「わたしに従ってきなさい」
ピリポは、アンデレとペテロとの町
ベツサイダの人であった。

このピリポがナタナエルに出会って言った
「わたしたちは、モーセが律法の中にしるしており
預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子
ナザレのイエスにいま出会った」

ナタナエルは彼に言った
「ナザレから、なんのよいものが出ようか」
ピリポは彼に言った
「きて見なさい」
イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て
彼について言われた
「見よ、あの人こそ、ほんとうのイスラエル人である。
その心には偽りがない」

ナタナエルは言った
「どうしてわたしをご存じなのですか」
イエスは答えて言われた
「ピリポがあなたを呼ぶ前に、わたしはあなたが
いちじくの木の下にいるのを見た」

ナタナエルは答えた
「先生、あなたは神の子です。
あなたはイスラエルの王です」
イエスは答えて言われた
「あなたが、いちじくの木の下にいるのを見たと
わたしが言ったので信じるのか。
これよりも、もっと大きなことを
あなたは見るであろう」

また言われ
「よくよくあなたがたに言っておく。
天が開けて、神の御使たちが
人の子の上に上り下りするのを
あなたがたは見るであろう」

【ヨハネによる福音書(口語訳) 第1章】wiki
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